1941-2019 History of JEEPs
軍用車から脈々と受け継がれてきたJEEPならではの超性能。それは、80年近くに渡って進化してきた正統な血統を受け継ぐ唯一のリアル・オフローダーであり、ラングラーこそがJEEPがJEEPたる所以となる、カリスマ的モデルである。
ジープのルーツとなるモデルは、第二次世界大戦の真っ只中に生まれた。アメリカ軍の軽量偵察車として、その開発のスタートは開戦前夜であった。だが、実際に軍用のジープが完成し、正式採用されたのは1941年のこと。それはウィリス・オーバーランド社によって開発されたMAをベースに、さらに改良を加えたMBというモデルであった。「ジープ」という呼び名が生まれた経緯は諸説あるが、General Purposeの略称であるGPの響きからという話があり、戦時中のアメリカ軍では軍用トラック全般をそう呼んでいたとも言われている。
さて、ジープが正式な車名として登場するのは、1945年のことだった(ウィリス・オーバーランド社が商標登録)。戦争が終焉へと迎えつつあった中で、会社としての規模がそれほど大きくなかったウィルス・オーバーランド社は、軍用車を納入し利益を得ていただけに、それが無くなってしまうことは死活問題であった。また、市販車開発に即座に対応できなかった(戦後しばらくしても巨大メーカーであったフォードやシボレーなども新型車が開発できない状態だった)ことから、戦時中に開発したMBから武装を排除した程度で、「CJ(シビリアン・ジープの頭文字)」という名前で民生用に販売を開始。このCJこそ、ある意味で「ジープ」の始まりとも言えるだろう。この時、現在のジープにも受け継がれている伝統的な7本スリットのグリルが誕生した(MBは9本スリット)。
ジープの最初の市販モデルである「CJー2A」は、ミリタリースペックを継承していたことから、多目的かつタフなクルマであり、農業地や工業などの作業車として活躍。1949年までの5年間販売され、その後CJー3A、CJー3Bへと進化。CJー3Bは1968年まで生産が継続された。一方で、ジープのラインナップの主流へとなったのが、1955年に登場したCJー5である。これは軍用車として1952年に登場したM38A1をベースとしたモデルであり、パワーや快適性が飛躍的に向上。オフロード車として地位を確立したといっても良いだろう。その証に、1983年までの約30年間という、ジープ史上で最長となる生産スパンを記録したモデルであった。
CJー5は、その誕生から長い期間、80インチほどのショートホイールベースだったが、これを基本に100インチへとロングホイールベース化したCJー6がラインナップ(’56〜’75年)。76年には、CJー6を引き継ぐ形で、その中間的な90インチ程度のホイールベースを持つCJー7が登場。実は、CJシリーズでは久しぶりの新型車で、20年振りの出来事であった。CJー7は、初めてオートマチックが採用され、プラスチックトップとスチールドアがオプションで用意されるなど、後のラングラーにそのコンセプトが受け継がれた。83年以降も唯一のCJシリーズとして、1986年まで生産が継続されたが、1987年にはAMCがクライスラーに買収され、大きな転機を迎えることとなった。
その後、AMCのモデルはその多くが消滅したものの、ジープはその独自のブランド性でバリエーションを増やしながら飛躍していった。その中でも、正統派ジープであるCJを受け継いだのが、初代ラングラーのYJだ。80年代に流行した角形ヘッドライトを採用し、脈々と続いてきたオープンボディを踏襲。一見すると、CJベースにも思えるが、その実はチェロキーの技術を多用しいていた。より乗用車的なインテリアを採用し、全体的にモダンに仕上げらていたのが特徴であった。
1997年には、ラングラーはフルモデルチェンジ。かつてのCJー7を彷彿とさせるレトロなスタイリングで登場した。それまでのリーフスプリングから、クォドラコイル・サスペンションという新技術が採用され、オフロードはもちろんのこと、乗り心地がさらに向上。ジープブランドの主流はチェロキーやグランドチェロキーへと移行していたのもの、趣味性の高い4×4モデルとしてアフターマーケット・シーンを盛り上げていた。
そして、2007年。ついにJK型がデビュー。MBから脈々と続いてきたショートホイールベースによる究極の4×4モデルに加え、4ドアモデルとなるアンリミテッドが登場。こらまでには存在しなかった、大人5人が乗車を可能にしつつ、さらにはカーゴルームを持つ実用性の高いモデルが誕生。ラングラーの歴史にまた新たなページが加わったのだった。
Military vehicles
ジープというモデルの始まりは軍用車の開発によるものだった
アメリカ軍により試作車の開発が要請され、それに参加したのがウィリス・オーバーランド社だった。軍が求めるスペックをすべて満たすことはできなかったものの、ウィリスが製作したMBが正式に採用された。ジープの始まりは1941年に誕生したMBなのである。
1945-1986 CJ Models
ジープが民生車として登場!!武装を排除して販売した
MBをベースに、武装面を排除して民生車として最初に登場したのがCJ-2Aである。パワートレインやホイールベースの変化にともなって、CJ-3、CJ-5、CJ-6、CJ-7などとラインナップが変化。CJシリーズは、実に40年近く販売されたことになる。
1955-1983 CJ-5
M-38A1ベースで誕生したジープ史上最長モデル
70年代まで長き渡り軍用として納入されたM-38A1をベースに市販化したモデル。このCJ-5は、ジープ史上で最も長いスパンで継続販売されたモデルである。オフロード性能が高められ、シートの快適性が向上していき、多くのオフロード車ファンを虜にした。
1976-1986 CJ-7
後のラングラーの基礎となるディメンジョンや装備を持つモデル
CJ-5が約80インチ、CJ-6が約100インチのホイールベースだったのに対し、中間的な約90インチで登場したのがCJ-7。これは、後のYJラングラーとほぼ同サイズであり、またプラスチックトップとスチールドアを採用した最初のモデルでもあった。
1987-2019 Jeep Wrangler -ラングラーとしての歴史がスタート!-
軍用車ベースというバックボーンがなくなり、オフローダーとして正統なジープの血脈を受け継ぎ、新たなカウボーイの意味を持つネーミングで登場したのが「ラングラー」である。
ジープのルーツとなるモデルは、第二次世界大戦の真っ只中に生まれた。アメリカ軍の軽量偵察車として、その開発のスタートは開戦前夜であった。だが、実際に軍用のジープが完成し、正式採用されたのは1941年のこと。それはウィリス・オーバーランド社によって開発されたMAをベースに、さらに改良を加えたMBというモデルであった。「ジープ」という呼び名が生まれた経緯は諸説あるが、General Purposeの略称であるGPの響きからという話があり、戦時中のアメリカ軍では軍用トラック全般をそう呼んでいたとも言われている。
さて、ジープが正式な車名として登場するのは、1945年のことだった(ウィリス・オーバーランド社が商標登録)。戦争が終焉へと迎えつつあった中で、会社としての規模がそれほど大きくなかったウィルス・オーバーランド社は、軍用車を納入し利益を得ていただけに、それが無くなってしまうことは死活問題であった。また、市販車開発に即座に対応できなかった(戦後しばらくしても巨大メーカーであったフォードやシボレーなども新型車が開発できない状態だった)ことから、戦時中に開発したMBから武装を排除した程度で、「CJ(シビリアン・ジープの頭文字)」という名前で民生用に販売を開始。このCJこそ、ある意味で「ジープ」の始まりとも言えるだろう。この時、現在のジープにも受け継がれている伝統的な7本スリットのグリルが誕生した(MBは9本スリット)。
ジープの最初の市販モデルである「CJー2A」は、ミリタリースペックを継承していたことから、多目的かつタフなクルマであり、農業地や工業などの作業車として活躍。1949年までの5年間販売され、その後CJー3A、CJー3Bへと進化。CJー3Bは1968年まで生産が継続された。一方で、ジープのラインナップの主流へとなったのが、1955年に登場したCJー5である。これは軍用車として1952年に登場したM38A1をベースとしたモデルであり、パワーや快適性が飛躍的に向上。オフロード車として地位を確立したといっても良いだろう。その証に、1983年までの約30年間という、ジープ史上で最長となる生産スパンを記録したモデルであった。
CJー5は、その誕生から長い期間、80インチほどのショートホイールベースだったが、これを基本に100インチへとロングホイールベース化したCJー6がラインナップ(’56〜’75年)。76年には、CJー6を引き継ぐ形で、その中間的な90インチ程度のホイールベースを持つCJー7が登場。実は、CJシリーズでは久しぶりの新型車で、20年振りの出来事であった。CJー7は、初めてオートマチックが採用され、プラスチックトップとスチールドアがオプションで用意されるなど、後のラングラーにそのコンセプトが受け継がれた。83年以降も唯一のCJシリーズとして、1986年まで生産が継続されたが、1987年にはAMCがクライスラーに買収され、大きな転機を迎えることとなった。
その後、AMCのモデルはその多くが消滅したものの、ジープはその独自のブランド性でバリエーションを増やしながら飛躍していった。その中でも、正統派ジープであるCJを受け継いだのが、初代ラングラーのYJだ。80年代に流行した角形ヘッドライトを採用し、脈々と続いてきたオープンボディを踏襲。一見すると、CJベースにも思えるが、その実はチェロキーの技術を多用しいていた。より乗用車的なインテリアを採用し、全体的にモダンに仕上げらていたのが特徴であった。
1997年には、ラングラーはフルモデルチェンジ。かつてのCJー7を彷彿とさせるレトロなスタイリングで登場した。それまでのリーフスプリングから、クォドラコイル・サスペンションという新技術が採用され、オフロードはもちろんのこと、乗り心地がさらに向上。ジープブランドの主流はチェロキーやグランドチェロキーへと移行していたのもの、趣味性の高い4×4モデルとしてアフターマーケット・シーンを盛り上げていた。
そして、2007年。ついにJK型がデビュー。MBから脈々と続いてきたショートホイールベースによる究極の4×4モデルに加え、4ドアモデルとなるアンリミテッドが登場。こらまでには存在しなかった、大人5人が乗車を可能にしつつ、さらにはカーゴルームを持つ実用性の高いモデルが誕生。ラングラーの歴史にまた新たなページが加わったのだった。
1987-1996 YJ WRANGLER
正統派シープを引き継ぎ、リアルオフローダーとして確立
CJシリーズはそもそも軍用車としてのバックボーンがあった。だがこのYJからは、CJを受け継ぐ正統的な後継モデルでありながら、さらに乗用車的な要素を取り込み、趣味性の高いモデルとしてラインナップした。その基本的なメカニズムは、ほぼ新規開発であった。
1997-2006 TJ WRANGLER
CJを彷彿とさせるクラシックデザインを採用
CJ-7に回帰したのようなクラシックデザインで登場。またリーフスプリングから、新開発のクォドラコイル・サスペンションを採用し、オフロードでの乗り心地を向上させた。04年には、2ドアながらロングホイールベース版となる”アンリミテッド”が登場した。
2007-2017 JK WRANGLER
多くのユーザーを取り込んだ4ドア版のアンリミテッドがデビュー
JKで最大トピックとなるが、4ドア版のアンリミテッドが追加されたこと。脈々と受け継がれているオープンエアも、アンリミテッドに受け継がれている。またダイムラー・クライスラー時代を得て、さらにフィアットの血が入ったことで、メカニズムが進化した。
2018 JL WRANGLER
オンとオフの能力はもちろんすべての面で成熟した新型JL
もはや世界各国で販売されるグローバルモデルであるJL。ひとつひとつの仕組みが成熟され、乗り心地や静寂性がレベルアップ。メカニズム的にも、2.0ℓターボエンジンや8速ATなどを採用し、SUV並みのオンロード性能も手に入れている。
メーカーを渡り歩いたJEEPブランドの軌跡
ジープの輝ける歴史の裏では、さまざなメーカーによる買収や合併などが行われいた。その中で、派生モデルがさまざま登場したが、リアル・オフローダーとしての系譜はしっかりと現在に受け継がれ、そのブランドが守られてきたのは、ジープというオリジナリティに他ならない。合併などにより最も影響を受けたのは、メカニズム(特にエンジンやミッション)だろう。
■ジープ・ブランド保有したきたメーカー名
1941年〜ウィリス・オーバーランド
1953年〜ウィリス・モーターズ
1963年〜カイザー・ジープ
1970年〜AMC(内ジープ)
1987年〜クライスラー(内ジープ)
1998年〜ダイムラー・クライスラー(内ジープ)
2007年〜クライスラーLLC(内ジープ)
2009年〜クライスラー・グループLLC(内ジープ)
2014年〜フィアット・クライスラー・オートモービル(内ジープ)
日本での正規販売はどうだったのか?
フォードやクライスラーが撤退する昨今、ジープ・ブランドは日本でも正規輸入が途絶えることなく続いている。特に90年代の初頭頃に、ホンダによって販売と整備が行われ。チェロキーが200万円で販売されるなど、ジープ・ブランドが定着した時期といえる。
■代表的なモノ
1982〜1985年 ジープ日本株式会社
1988〜1999年 クライスラージャパンセールス株式会社
1999〜2007年 ダイムラー・クライスラー日本
2007〜2014年 クライスラー日本株式会社
2015〜 FCAジャパン株式会社
TEXT:日比野智己
PHOTO:https://www.jeep.com